暮らしの読み物

部会や倶楽部の会員の方々のご協力により寄稿されました。
論文あり、旅あり、食あり、涙あり…と、示唆とウイットに富んだ内容をお愉しみください。


地下足袋日記   1   2   3   4   イギリス編
「遺伝子の命ずるままに 住吉高灯篭建立の奨め」   1  (PDF形式)
味読「やさしさを生きる…」   1   2   3   4   5
ロハスライフ   1
あかりと遊ぶ   1   2   3
アイビー文化を楽しむ   1   2   3   4   5
やきもの小話   1   2   3   4   5   6
35日間の熟年夫婦の旅日記   1-1   1-2   2   3   4   5   6


1998年秋、主にイベリア半島めぐり
写真:山口鉄男 達人倶楽部(=OBの会)会長
文章:山口テル子 達人倶楽部(=OBの会)

 この旅を計画したのは、三年前1995年、春から初夏にかけて66日間、ヨーロッパはスイス、イタリア、フランス、ドイツ、オランダ、デンマーク、オーストリアを旅した時の醍醐味に嵌ってしまい、元気な内にどこへでも踏み込んでみたいという欲望からである。
 カメラ好きの主人と未だ見ぬ土地への興味に心踊らされる私。共に英会話も出来ないが、体力には少々自信があり、エコノミークラスの狭い椅子に座って十五、六時間の飛行は平気で過ごせ、時差ぼけで苦しむこともない。ザックに最小限の荷物を詰め、服装は難民かと思われるような恰好でケチケチの貧乏旅行が板に着いている二人である。
 交通手段は、日本で購入したユーレルパスを利用しての列車の旅。「トーマスクックの時間表」と「地球の歩き方」は必携の書。旅先の情報収集もそこそこに、ただ地図を拡げて持ち時間(日程)を振り分けてのルート作りは実に楽しい。後々の話しの種に、と先ずは観光業者がツアーで組んでいる観光地はいうまでもなく、それ以外の土地も時間が許す限り、見歩く自由さが得られる二人旅は気楽そのものである。



1. バーゼル→アルル(イベリア半島入り)→バルセロナ→バレンシア→アリカンテ→マドリード→セゴビア→トレド
2. コルドバ→グラナダ→アルメリア→マラガ→ミハス→ロンダ
3. アルヘシラス→ガディス→セビリア→メリダ
4. リスボン→コインブラ→ポルト
5. サンチャゴ・コンポステーラ→レオン→ブルゴス→パンプローナ
6. ピレーネ越え、モンサンミッシェル→サンマロー→パリ→バーゼルへ戻る

 さて、旅日記をひもといでみよう。ヨーロッパへは、いつもスイスの「チューリッヒ」から入る。ここから西方、車で一時間余り走ったところ「バーゼル」(フランス、ドイツと接している都市)の友人宅で一呼吸入れての出発となる。
 「バーゼル」を発ち、スイス最大のレマン湖の西側を南下し「ジュネーブ」へ入る。目ざす「アルル」へは、スイスからフランスへの移動になるので駅の構内で国境越えの手続きが必要になる。見慣れぬ表示案内を読みつつウロウロして時間を費やしてしまい予定の列車はすでに出発していた。なるべく安上がりで行こうと普通列車に乗るのを基本としているが、T・G・V(フランス国鉄の急行)に乗らなければ、本日予定の目的地へ着かない。おまけにスイスフランは持ち合わせていても、フランスフランがないので特急券も買えない。「どうしてもこの列車に乗りたい」と、ホームで乗務員と談判していると、助っ人が現れる。ビュッフェの乗務員が降りて来て、とにかく乗れという。何か飲み物でも買っておつりをフランスフランで渡すから、それで特急券を買えばよいと言う提案だった。おかげでこの場は助かったと安堵しコーヒーを飲みながら、この時ばかりはフランス人嫌いの私達も親切な国鉄職員に感謝した。


ローマ時代の遺跡(アルル)
フランス一大きい円形闘技場


円形闘技場の塔から
見下ろしたアルルの町

 ジュネーブを発てばすぐフランス領、大都市「リオン」を更にローヌ川沿いに南下、「アルル」(ARLES)に着いたのはまだ陽射しが強い時刻。小ちゃな駅でインフォメーションもない。駅前のラマンチャ広場に立ってぐるりと見渡すと一階がレストラン、二階がミニホテルが目にとまった。手持ちのフランがないので、これまた小っぽけな銀行で両替をしてホテルの予約をとる。重いザックをおろし身軽になったところでアルルの町めぐりをする。ローヌ川には今着いたばかりの大型観光船、多分リオンかアビニオンあたりから乗船した人達だろう、どんどん降りてくる集団が待機している観光バスの方へ歩く様子が川岸の土手から見えた。この町は紀元前からすでに都市が築かれ、ローマ時代には首府であったり、中世には宗教の中心地として栄えたところ。カヴアルリ門をくぐり旧市街に入るとローマ時代の遺跡が次々と目に入ってくる。そびえ立つ円形闘技場、ここから見渡すアルルの町は、ゆったりと流れるローヌ川を眺めていると南仏の古都にふさわしい、しっとりとした雰囲気が伝わってくるようだ。半ば廃墟となった古代劇場、コンスタンチン共同浴場やサン・トロフィーム教会など、どっぷりと世界遺産に囲まれた町中をめぐり、太陽が沈みかけローヌ川沿いの歩道に街燈がともる頃、ホテルへの道をのんびり歩きながら、よくぞここまでたどり着いたものだと感無量。そして明日からいよいよイベリア半島めぐりがスタートするんだと思うと力が入る思いだった。

アルルの町なかをゆったりと流れるローヌ川

リオンやアヴィニョンあたりからローヌ川を下ってきた観光船

 アルルを離れるとそこは一面田園風景が連なる。山一つ遠望出来ないデルタ地帯には、作物がびっしりと植え付けられている。温暖で肥沃なこの地で収穫される物が、恐らくヨーロッパ人の胃袋を満たしているのだろうと想像する。
 一路、バルセロナに向け直行。四時間ばかりで国境越え、車窓からは左手に地中海、右手にはピレネー山脈の東端、岩盤むき出しの白い山肌、岩を切り出している風景もちらほら、太古の昔からこれらの石は掘り出されて建造物の材料となって各地へ運ばれていたのだろう。
 途中、大きな駅では特急列車、フランスのT・G・VやスペインのTalgo(タルゴ)が優先して通過する為、待機時間が長い。ニ、三十分の待ち時間は当たり前。おかげで町の様子や人の動きが観察でき、時には飲物の調達も出来、鈍行ならでは味わえないものが一杯あって、苛つくことは全くない。
スペインに入った途端、白樺林の連なりが目立つ。バルセロナに着く駅は、一つ手前から地下へ入りそのまま「サンツ駅」へ着く。国際列車をはじめ、近郊の列車も発着するのでとてつもなく広く、入口も出口もわからないほどだ。構内の銀行でペセタの両替とホテル案内所で予約をとるが、たっぷり一時間はかかった。特に夕方の到着となると、初めて踏み入れる土地に対する不安もあり、どうしてもホテル探しは案内所に頼らざるを得ない。以前は旅の先々で到着と同時にホテル案内所で並んで予約をとっていたが有名な観光地だと長蛇の列になることもあり混雑するので、一、ニ時間はざらに待たされることがある。その事を体験してからは、行く先々で自分達の足で探すことにしている。駅を出て歩きながら探すのは、レストランや、バーの二階に宿泊部屋を併設しているところは、一日中出歩いて旅する者にとっては格好の宿泊所となる。夜遅くまで階下の店は賑わっているし、夕食の食い逸れがない。ただ寝る為のベッドと小さなシンクさえあれば、共同のシャワーやトイレであっても料金さえ安ければ十分。この手を使うようになってからは、観光する時間が増えた。ところが週末のホテル探しは苦労することがある。ホテルはどこも満杯。残っている部屋は高級ホテルときたからには忽ち予算が狂ってしまうこともある。ヨレヨレの汚い服装でバックパック姿の我々に、ハイカラな恰好をしたホテルマンが「手荷物をお持ちしましょう」といわれても、運んでもらうほどでもない。重厚なカーテンや使いきれないほどの高級な家具や調度品に囲まれ、メイドさんに傅かれての宿泊。こんな体験もまた良い思い出になり、日替わりで色々なホテルを利用する数だけ、語り草の種となって残ってくる。
 ホテル到着後すぐに夕食をとる方々、カタルーニャ美術館あたりまで町の様子を見に出掛ける。さすがにスペイン第二の都市とあって夜のぶらぶら歩きは緊張し疲れた。朝のスタートはいつも早い。スペインのホテルは朝食がつかないので、パンとコーヒーの店は早朝から開いている。菓子パンとカプチーノだけで朝食をとり活動を開始する。歩け歩けの探訪が基本。乗り物は必要にせまられた時だけ。連泊の場合は荷物も少ないし身軽。観光用の資料と飲物(必ず用意するものは暖かい紅茶を、ホテルの部屋で持参の小型ヒーターで湯を沸かしティーパックで1L分作る。他にミネラルウォーターも1L分持ち歩く)をたずさえ、貪欲に観て歩く。この歩きが、過食気味になっても体調良好を維持しているように思える。


カタルーニヤ美術館近くのスペイン広場の夜景
(バルセロナ)

ランブラス通りの出店
カラフルな色彩の壷や皿が所狭しと並べられている


アントニオ・ガウディの作
サクラダ・ファミリア聖堂
1882年より建設が始められ
いまだに続けられている



ゴシック地区の中心
カテドラルの正面入口
 バルセロナの顔とも言えるガウディ設計によるサクラダファミリア聖堂、1882年に着工し、今もって建設の途中というしろもの。圧倒されるように聳え立つ数本の塔は異様ともみえる。どの国の観光客も訪れる旧市街地、カテドラルや王の広場、歴史資料館、目抜き通りランブス通りには実に夥しい外国人だらけで一杯。折しもmerce'98イベントで、ステージに大型スピーカーが設置されボリューム一杯のサウンドでバンド演奏が行われているし、通りの両サイドには花屋、本屋、みやげ物屋、大道芸人のパフォーマンス…。この町では世界のあらゆる人種の人出に紛れ込んで、20数キロも歩いて過ごした一日だった。そして青空の下、モンデュイックの丘に登り、広大なバルセロナの町をしっかり目に焼きつけることが出来た。バルセロナのサンツ駅よりIC(インターシティー)の予約料金を払いバレンシアへ向う。この列車は遠くセビリアまで行くので乗客も満席。荷物置場があるのでトランク類はきちんと収納され、車内はすっきりしてる。駅を発ってすぐより空模様が急変。暗雲たちこめ雷鳴轟き、大雨にたたかれ停車してしまう。室内燈は消え、うす暗い予備燈になる。先ほどまでおしゃべりに花が咲いていた人々の会話もトーンダウン。その内にまた段々と声高なおしゃべりが始まった頃、車掌が来て説明しているがさっぱりわからない。急ぐ旅でもないし、途中、地中海の海辺、ベニスコラに立ち寄ってのんびり昼食をとって過ごす予定にはしていたが、時間がなけりゃそこをパスするだけのこと。用意してきた朝食用の紅茶やサンドイッチ、果物を食べながら地図を拡げたり観光本を読んだりで結構有効な時間になってよい。セビリアへ行く人達は夜遅くの到着になると大変だろうなと心配してあげる。二時間位経ちようやく少しずつ動き出しては止まり、また動き出すというヨチヨチ発車。三時間位のロスタイムになったが、皆んな平気な顔をしている。その内に車内燈も明るくなり、通常の走行状態となった。後続の列車もすっかり遅れをなして走っていることだろう。
旅には色々と予期せぬことが生じる。ひったくりの気配に対処することもあれば、パスポートをフロントにあずけたままホテルを出て、途中で気付いてひき返したり、バス路線がわからず、ぐるりと大廻りして目的地に着き、歩く時間より長くかかったり、色々な失敗が旅の思い出になったり肥やしになっていくのだと思うとこれもまた良しと納得する。

 車中に閉じ込められたあの雷鳴と降雨が嘘だったかのような晴れ渡った午後の三時過ぎ、バレンシア・ノルド駅へ到着した。


メルカド(市場)の裏手にある台所用品の小売店
大、小様々のバエリア鍋が目に付く(バレンシア)

カテドラルの塔から見下ろすレイテ広場と
バレンシアの町遠望


カテドラルの塔へ上って行く途中の開窓からみる
優雅な屋根


カタリーナ教会が真正面に見える通り
 駅から5〜6分、カフェテラスが続くホテル街で投宿。料金は二人で5000円前後を目安にしているが、見た目では古そうでも部屋は清潔で品良く設えてある。我々にとって、ツアー旅行で宛がわれる豪華なホテルは、ただ泊まるだけの目的ではもったいなくぜいたく過ぎる(そう考えるのもシブチンの所以かな?)。
スペイン第三の都市バレンシアは、旧市街なら一日歩けば主な見どころはほとんど尋ねることが出来る。町なかには必ず広場があちこちにあり、ベンチや水飲み場はもちろん花壇には季節の花が一杯。老人、子供にとっては安全な場所であり、旅人にとっては恰好の休憩場になる。
 十四、五世紀の建造物が集中し、日本では博物館かと思うものが市庁舎であったり、カテドラル、ラ・ロンハ(交易所)、セラーノスの門、メルカド(市場)・・・。足の向くまま気に入ったところで存分に時間を使う。こんな時フリーの旅の良さをつくづく感じる。話し好きで食道楽のスペイン人にとって「メルカド」と呼ばれる市場では、自国で生産されるあらゆる品物が揃い市民のお腹を満足させているようだ。地方都市でも家族で商っている店がほとんどで、その地域の住民が、毎朝、その日に使う食材(小麦粉、肉、野菜など)だけを買物している風景に出食わすことがある。私達もその日に必要な飲物やパン、ハム、果物など買っていると、レジの順番を先にゆずってくれ、親切さをたびたび体験する。
日本のスーパーやコンビニでみられる有り余るほどの輸入品をはじめとする品々、それも毎日わんさと買い込んで物欲を満たす状況の裏には、家庭の団欒も顧みず血まなこになって働く日本人の姿がよぎる。本当に人間は生きる為の食物はその土地で作られる季節の物を必要なだけ摂れば十分なのだ。いつも旅して帰国した後は、食生活を質素に落とすのだが、一ヶ月もしない内に元の生活に戻ってしまう。スーパーでの山積みした商品にまどわされる自分にあきれかえってしまう。
 バレンシアでのこの日、週末とあって、教会での結婚式を終え正装の姿で広場に出て皆んなに祝福されている場面に三回も出合った。その一つ格調高そうなサント・ドミンゴ修道院の教会の玄関では、馬車を仕立ててこれから町の通りへ出ようとするところだった。小さな公園のカフェテラスで大好きなエスプレッソコーヒーを飲みながら、この幸せな光景に見入っていた。

 バレンシア・ノルド駅より地中海の東部に位置するアリカンテへと向う。


ヤシの木立が並ぶスペイン遊歩道。夕方とも
なれば出歩く人も多くなる(アリカンテ)

結婚式を終えて、これから海岸沿いの道へ
くり出す新婚さん


小高い丘にそびえる
サンタ・バルバラ城


バルバラ城跡からアリカンテの町と港を一望する
 この辺りコスタ・ブランカ(白い海岸)と呼ばれ温暖な気候と広いビーチが連なり、バカンスを過ごすリゾート地。さすがに人がどーっと町にくり出していて少々喧噪さを感じる人種のるつぼをみるよなところだ。るんぺんのような風をした東洋人の我々に対して興味深そうなまなざしが向けられているようだった。海岸に沿ってヤシの木立が並ぶスペイン遊歩道には、いたるところにベンチがあり、観光客が思い思いに腰を下ろしている。太陽も傾きかけた頃よりホテルを出て、海岸べりに立ち並ぶホテルのレストラン・カフェがしつらえている外のテーブルで夕食にパエリエを食べていると、遠くのテーブルで日本人学生(奈良出身でドイツ留学中)と中年男性(神戸市の公務員)をみかける。それぞれ一人旅でこの地へは初めてだと話された。神戸の男性は、毎年マジョリカ島へ来ているという。イタリアやスペインは一度好きになるとどうも癖になる人が多いと聞くが、我々もその部類に入りそうだ。夜遅くまでしゃべり込み、お互いに旅の無事を祈って別れた。翌朝も早々に行動開始。アリカンテの見どころはなんと言っても小高い丘にそびえるサンタ・バルバラ城。朽ちた石積も散在しているが、現存の建築も十六〜十八世紀にかけて作られたもの。10時開門まで余裕があるので、アンティクのガラクタ市が市庁舎前の広場で開かれていたのでたずねてみる。日曜の朝とあって、散歩がてらに外での朝食をとるのが常なのか、外のテーブルは入れ替わり退ち替わりで一杯の人。ウエイターさんも走りまくっていた。それでも雑ではあるが愛嬌たっぷりのサーヴィスでホットサンドとコーヒーで腹拵えする。丘の上まではエレベーターでいっきに登る。城からはアリカンテの町と港が一望、反対には真青な海と白いビーチが連なり、この風景こそがコスタ・ブランカと呼ばれるにふさわしい地だと理解できた。アメリカからの観光客が多いらしく、アメリカ系のビックなホテルが目につくところだった。


熟年夫婦の旅日記1-2 はこちら

次回、いよいよ大都市マドリッドへ向います。(8月末掲載予定)
お楽しみに。

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