日   時 2014.9.14(日) 10:20〜16:00
場   所 瀬戸内海国立公園 「友ヶ島」
参 加 人 数 13名
テ ー マ 『初秋の友ヶ島を遊ぶ…』
中島 暁子氏 和歌山市 語り部クラブ会員



加太から観光船で僅か20分で
野奈浦桟橋に上陸
案内人の中島暁子さんから
コースの説明を受ける
歴史を刻んだ灯台は現役です
道はほとんど舗装されず自然のままです
旧海軍の聴音所跡です
小展望台から紀淡海峡を眺める
煉瓦造りの第三砲台跡
皆で記念撮影
  今回は、大阪府の最南端、和歌山県の最北西端、紀淡海峡(紀伊水道)に浮かぶ友ケ島を訪ねました。四方を海に囲まれた友ケ島は、地ノ島・沖ノ島・虎島・神島の四島の総称ですが、瀬戸内海国立公園の一部に属し、和歌山と淡路島の間の海峡に浮かぶ無人島群です。今回は一番大きな沖ノ島が目的地で、同島に上陸し島内を見学しました。
  加太港から観光船に揺られ、沖ノ島・野奈浦桟橋に上陸。案内人の中島暁子さんに島内の案内をお願いしました。
  海の家を通り右手に池尻浜を見ながら徒歩での見学です。蛇ケ池から立入禁止の第2砲台跡に到着。砲台群は旧大日本帝国陸軍の要塞で、大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間に位置する沖ノ島に作られました。第二次世界大戦では航空機が主力となり、大砲が活躍する機会は全くなく、終戦と同時に主要設備は米軍により解体撤去されました。「もったいない!」という感想も…。現在では遺構の大部分が失われましたが、それでも煉瓦造りの建造物は迫力と存在感を誇っていました。
  蛇ヶ池を左に見ながら、一旦海辺を離れ坂道を登ります。第一砲台のトンネルは、物々しいゲートに塞がれていました。階段を昇ると、日本で8番目に建設され、今も現役の灯台が見えてきました。現在は建替られましたが、初代の灯台は洋風建築で、明治5年(1872)英国人・リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により建設されました。灯台を通り過ぎ、小さな階段を登り切ると、目の前に興味深い建造物が…。鉄製のキノコの様な装甲掩蓋が乗った建物がありました。観測用の建造物だそうです。
  灯台に戻り日陰で楽しく昼食です。素晴らしい天候で、日陰は心地よいのですが、日向では暑いほどの快晴でした。
  午後は、旧海軍聴音所跡を見学。潜水艦などの侵入を探知するための施設で、岸壁際に建っていました。更に、山道を登り小展望台に到着。ここからの景色は特に素晴らしく、海上にポツンと浮かぶ島は、友ヶ島でも一番小さな島=神島です。切手にも使われたほどの絶景でした。
  さて、いよいよ第三砲台跡に向かいます。ここは、今回一番期待の大きな場所です。弾薬庫を繋ぐ通路は、真っ暗なので懐中電灯で足元を照らしながら進みました。外に出ると砲床になっており、砲台跡の情景が宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせ、近年急速に人気が高まっています。ものの哀れを感じさせながらも、自然の営の普遍性が強く感じられ、時の流れに圧倒されました。
  今回は沖ノ島の西半分を4時間ほどで巡りました。快晴の初秋の一日、自然に抱かれながら、島を巡り、海を眺め、戦史に触れ、天空の城ラピュタの如く、突然人類が消えた世界に迷い込んだ…そんな錯覚にとらわれた一日でした。
文/新井律子




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