日   時 2014.11.9(日) 8:30〜19:00
場   所 岡山県英田郡
西粟倉村影石
参 加 人 数 28名
テ ー マ 『自立を暮らす、に学ぶ…』
牧 大介氏
株式会社西粟倉・森の学校 代表
協   力 (株)西粟倉・森の学校、share woods、
なばな不動産(株)、森 甫氏



森の学校(西粟倉村)に到着
牧 大介さんからお話を伺う
ニシアワー製造所
工房に併設の「ようび本店」ショールーム
「木工房ようび」の大島正幸さんから
お話を伺う
百年の森
  今年度最後のセミナーは、岡山県の最東北端に位置する英田郡西粟倉村を訪ねました。西粟倉村は、先日テレビ東京の「ガイアの夜明け」で「ニッポンの宝の山を活かす!」というテーマで取り上げられ、衰退する林業の地域再生モデルとして注目を浴びています。また、村の活動の中心的存在である、森の学校は「過去を受け継ぐ50年、未来へ繋ぐ50年」の100年の森構想を掲げ設立4年目を迎え、自立の道を選んだ上質な田舎の在り方として高い評価を受けています。
  8時30分に大阪・北浜新井ビル前に集合し、バスで高速道路を経て西粟倉・森の学校に到着しました。代表の牧大介さんの出迎えを受け、教室でお話を伺いました。林業の共通の悩みは、木を切って丸太のまま売っても、安い外国材との競争に勝てず、切れば切るほどコストがかかり赤字になる…という状況から脱皮を図るため、人口約1500人の岡山県西粟倉村で林業を中心とした小さな地域経済「百年の森林構想」を立ち上げたメンバーのお一人だそうです。
  具体的には、村役場が山主の所有する森林を委託管理し、それを森林組合が間伐・搬出する…そして切った丸太を株式会社「西粟倉・森の学校」が床材などの商品に加工する。つまり、四者が連携し、村内の木材に付加価値を付けながら森林を再生していく、という新しい取り組みです。これが評価され、大手企業のオフィスで森の学校の床材を採用するなど、西粟倉村の商品は都会での需要が急増しています。また、可能性を感じた若者も続々と西粟倉村に集まり、家具など木工品製作の若手ベンチャーが次々に西粟倉村で起業し始めているそうです。 お昼には、鹿肉のBBQの昼食をいただいて、ニシアワー製造所に移動しました。牧さんのご案内で工場に入ると、木材の良い香りのお出迎えです。木製床貼りタイルの製造工程を見学し、皆さんも実物を手に興味津々の面持ちでした。
  続いて無垢材の家具などを扱う木工房「ようび」の工房に併設されたショールームに移り、代表の大島正幸さんからお話を伺いました。2009年、大島さんはオークビレッジから独立され、Iターンで西粟倉村に移住され、無垢の素材、伝統的な木組みの技術を活かしつつ、現代の暮らしに合った家具や暮らしの道具を創り出されています。村の95%が森林という小さな村西粟倉村では、森に生えた木を伐採する現場、それを製材する現場、木の道具になるために加工する現場、そして人々が近隣にあります。森から生活の道具までを体験として知る木工職人として、責任を持って使い手に繋げて行きたい…とビジョンを語られていました。
  檜のちゃぶ台、軽かったです!座り心地の良い椅子、ホッとしました!
  最後に、お土産探しと学校を見学する組、百年の森を訪れる組の2班に別れて行動しました。生憎の雨で実際に間伐された森林を十分体感することはできませんでしたが、これにて西粟倉の見学は終了です。帰路、バスの窓から手を振ってくださる牧さんの姿が見え、ますます親しみと共に名残惜しさを感じた次第です。
  今回は日本の未来に夢を与えてくれる元気村の訪問でした。若い方に様々な文化が伝えられていく予感がし、何だかとても暖かく嬉しい気持ちになれました。
文/新井律子



  今回の暮らし方研究会のツアーを知ったのは、研究室でいつもお世話になっている方のお誘いからでした。研究室では「集まって住むカタチ」をテーマに扱っており、実際に地域に入り込み、みんなで地域について考える活動を行っています。そのようなこともあり、西粟倉村という小さな村が合併せず、独立することを決め、間伐材という地域資源を仕事レベルにまでもっていった始まりや経緯を知りたいと思い参加させていただきました。
  西粟倉村の第一印象は、まさに緑豊かな山奥の田舎でした。見学させていただいた森の学校は、廃校になった学校を拠点としていて、中には山の間伐材でつくったオリジナルの製品、地元で採れた米で作ったお酒、体育館には家のモックアップがあり、オフィスの様な使われ方をしていました。黒板など懐かしいなと思いながら、ある教室で牧さんのお話をうかがいました。
  立ち上がりの話や、山を守りたいという意思、まちづくりのキーマンの活動などとても興味深い話をしていただきました。地域の資源である山を守り、活かすための産業をつくり、村の雇用も増やす。そんな理想的なことがあるのかと始めは半信半疑で聞いていたのですが、間伐材を活かした産業に辿り着くまでの土台がとてもしっかりしていました。長いスパンで物事を考えることと、百年の森林構想という明確な目標があるからこそ、地道に行っておられる事業にブレがないのだなと納得しました。また、村の明確な目標を決定するまでに村民の方と何度も何度も話し合っていないとできないことだと感じました。活き活きと西粟倉村で活動しておられるIターンの方々、変わり始めた村に触発され地域のためにと何かを始める村民の方々が、お互いにいい刺激を与えあっており、これからも小さな循環が続いていきそうでした。
  森の学校で販売されている木工品は時代のニーズをくみ取ったもので、田舎と都市をつなげていました。お皿やデスクなどもありますが、木の名刺入れや、アイフォンケース、賃貸住宅向けに開発した持ち運べる無垢の床パネル「ユカハリ」など、普段使えるお洒落なものや、都市の暮らしのニーズに合わせたものがあり、とても感心しました。西粟倉村のHPも見やすくデザインされ、商品はネットでも買うことができ、情報発信も本当にしっかりしています。ユカハリは早速現在研究室で活動している団地の拠点にサンプルを展示させていただいています。
  お昼をいただいた場所には、これでもかというぐらい大きな白菜や、青々とした葱など新鮮な野菜が売られ、そこで鹿肉をいただき山の恵みを感じました。また、帰りのバスに乗る時にたまたま犬の散歩をしていたおばあちゃんが「来てくれてありがとうございます。」と言ってくれたのがとても印象的でした。
  西粟倉村のツアーでは勉強になることばかりでとても楽しかったです。機会があればまた訪れたいと思います。企画・運営をしていただいた暮らし方研究会の皆さま、森の学校の皆さま、本当にありがとうございました。
伊丹市在住 松浦知子氏(大学院生) 23歳


  昨晩の、深酒の匂いを気にして、口臭予防剤を口にふくみ、マスクをして小雨の中乗り込んだバスには、すでにほぼ満員の参加者で熱気にあふれていた。定時に出発して、うつらうつらとしている間にバスは岡山県北東端の村粟倉のインターをすべるように出て、温泉と駅が合体している粟倉温泉駅前を通り抜けてすぐの目的地『森の学校』に到着した。廃校となった後の山村の小学校校舎を使って村おこし事業をすすめているとの話を聞いていたが、何を隠そう私の故郷は高速道路も無ければ信号もない、猪や鹿や猿が我が物顔で歩いているような山村であり、ほぼ小学校は廃校になっており、環境的には何の驚きも感動もなかった。
  しかし、衝撃と感動はその後、教室の説明会場に入って、代表の牧さんのお話をお聞きしてからであった。過疎化に悩む何の産業もないありきたりの村が、自分達の力で能動的に発案起業し、仲間を集めて、若者を集わせ、自然を見直し、現代日本の構造的な問題で、皆、半ば諦めている過疎地の人口減少に歯止めをかけてしまった。なんと今年は保育園に待機児童まで発生するというような笑い話にもなる悩みがでてきているという。これには、頭を打たれた。だが、何故なんだろうか、何がそうさせるのだろう、自分の故郷でもないのに、そんなところでもの創りを始める、そんな田舎で家具を製作している、やった事のない畑を耕す、米を作り、酒をつくる、材木を切り出し製材する。わからない。可能性は高ければ高いほど実行に移した時の成果は大きいのではないのか。そもそも、それをもとめるからこその起業ではないのか。なんでまた、そんな苦労を買って出るような事をやろうと決断し、この地にやって来ようと思う気持ちに彼らをさせたのだろう。別に自分が利益主義者ではないが、同じ田舎暮らしをした事のあるものとしてはその決断については不思議な感じがした。そう言えば、私の子供の頃に近くの古家を買い取って住み着いたアメリカ人の陶芸家のおじさんがいたがその人はこの村を大好きになった事が住むきっかけになったと話をしていた。
  そんな事で、なかなか理解は出来ないなかで、彼らを突き動かしている原動力について『これだな。』っと、納得したことがある。それは、若さと、笑顔とほとばしるような活気である。しかも、それらに無理が感じられないのである。若き家具職人はここで創作することの誇りと自信を、弾むような声にのせて私たちに話をしてくれた。酒つくりを創めたお嬢さんは自分の分身のようなお酒を本当にいとおしそうに販売してくれた。そんな想いの集合体としてこの村は成り立ってきているかもしれない。あたらしい気持ちの集合体『MURA』に生まれ変わったのかもしれない。
  私は、田舎に年老いた両親を今も『おいてきぼり』にしている。迎えにいってもその地を離れようとしない。私が田舎に帰ればいいのだが永い都会の暮らしで捨てきれないものがたくさんある。でも、今回の森の学校見学はもしかすると、最初の一歩を踏み出す事が出来ないでいる自分にとって大きな後押しとなってくれるかもしれない。自分が置き去りにしてきた人生の過疎地を蘇らせることに想いを馳せながら今宵は都会の自宅で、あの日、酒創りのお嬢さんに選んでもらった地酒を飲んでいる。
茨木市在住 井居健二氏 52歳


西粟倉ツアーに参加して

  西粟倉村の取り組みは父方の故郷、福井県今立郡池田町を思い起こさせるものでした。人口密度は西粟倉村が25.1人/㎢に対して池田町13.9人/㎢、人口は西粟倉村1,455人、池田町2,700人。若い世代の働く場所が少なく、優秀な人材が東京や関西に出て行きがちな地域でいずれも平成の大合併と言われた町村合併には加わらず、周辺の自治体と一線を画しています。
  団塊の世代の最後尾である私は物心ついた頃から右肩上がりの経済成長や、便利で快適な生活を享受してきました。大学進学に際しても自宅から通学可能な範囲で選択肢も多く、第一次オイルショック直後の就職も難なく決まり、設計業務を通じてより良い暮らしの実現をお手伝いと、大阪府下の中堅都市に暮らしたお蔭で地方に暮らす方々の苦労を知ることなくまいりました。
  今年見た映画「夢は牛のお医者さん」とパーマカルチャーという考え方、今回の西粟倉ツアーはこれからの二十年をいかに生きるべきかを考える縁になるように思います。衣食住すべてが低開発国の安い人件費を背景に海外生産品で大半を占められ国内での産業や伝統、技術の伝承を損ない、国土を荒廃させることになったのでは?かつて吉野で製材業を営む方が「国産材を使うことは国土保全の意義を抜きにしては語れない。」と言われたのを思い出します。
  西粟倉村で行われる試みはロボットやコンピューターではできない仕事をほどほどの生活レベルで楽しく営み、里山の恵みを享受する方法のひとつと感じます。若い世代と共に高齢になる団塊世代の者にも役割と生き甲斐を!
  久し振りに「リ・ライフ」セミナーに参加させていただき、長く活動を続けてこられた津島さん、新井さんの努力に敬意を表したいと思います。また、案内して下さった山崎さんにも感謝申し上げます。ありがとうございました。
池田市在住 佐野江利子氏 63歳


「西粟倉村・百年の森構想」

まずセミナ-の企画・実践をされた研究会の担当の方々に感謝
近年稀にみる素晴らしいセミナ-でした
帰路の車中 今では歴史的な存在となった二つの実践を思い浮かべていた
一つは白樺派による「新しき村」の実践<1918(大正7)年開村>
他方は山岸巳代蔵の提唱した通称「山岸会」の実践<1953(昭和28)年発足>
西粟倉村が2008(平成20)年着手とすると
前者はその88年前
後者はその55年前に着手され歴史に刻まれたことになる
前者は武者小路実篤や志賀直哉らによって
階級闘争のない世界という理想郷を目指して構想された
宮崎県本城村(現本城市)における農業協同集落
自然主義から脱却して理想主義文学を表した現実的・具体的な実践
ダム工事により水没し現在は埼玉県毛呂山町に<1939(昭和14)年移転>
「東の村」として村は存続
設立の精神は「一般社団法人・新しき村」に継承されている
後者は国内はもとより海外にも進出 大発展を遂げたものの
運営上の諸問題から瓦解
消滅したものと思っていたが三重県津市などで活動は継続されている様子

一口に五十年・百年というが当初の志が貫かれるというのは至難の業
運否天賦・運まかせの側面もあるが
西粟倉村は果たしてどうだろうか
僕は歴史にその名を刻すほうに賭けたい
牧 大介さんという稀有の存在の大きさもさりながら
木工房「ようび」に展示されている桧の机のデザインでそれを確信

天板の裏側で上からは見えない細部だが
無垢の桧の天板と縁を切って支える四本の脚の接合部のディテ-ル
が伝統的な社寺建築の木組みを彷彿させる見事な細工
日本発として世界に通用するディグニティ(品位・格調)がある
工房の主・大島さんと若き家具職人たちが村で
生活を営みつつこのような上質な作品を輩出するかぎり
その未来は明るい
(了)
大阪市北区在住 井上あきら氏(茶柱句会主宰・俳人) 69歳


第145回セミナー『自立を暮らす、に学ぶ…』に参加して

  朝の天気を気にしつつ、雨具を小さなリュックに詰め駅に向かう。
  集合時間には雨が降り、「今日一日雨かな?」「西粟倉に着けば止んでくれれば」と思いながらバスに乗り込む。
  今回のセミナーは若い人が多いなか、暮らし方会員の顔なじみの方もチラホラ見られ少し安心。
  着いた西粟倉は、思ったより交通の便がよく、自然の中にある山村。
  早速、「森の学校」代表によるスライドを通しての説明と、製材所や木工房見学では、森林と豊かな自然での暮らし、また新しい多くを学んだ。

  今後の私の暮らしに展望が開け、何か勇気付けられた一日でした。
東大阪市在住 肌勢喜昭氏 70歳


『リ・ライフ』セミナーに参加して

第145回セミナーに参加しました。
今回のテーマは「自立を暮らす、に学ぶ…」ということで、岡山県の山奥にある
株式会社西粟倉・森の学校を中心に鹿肉BBQのランチ、製材所、木工家具と目いっぱいのメニューでした。
当日はあいにくの雨でしたが、とにかく参加人数が多く、大型バスに参加者を満載して一路中国道から鳥取道を使って西粟倉村まで約2時間のドライブ。8時半の集合から夜の7時過ぎの解散まで充実した一日でした。

セミナーの中心となる森の学校は旧景山小学校を利用した施設で、木材のいろいろなショーケースとしての役割と地元の米つくりを支える日本酒コーナーも併設されており、出発間際の時間にお土産として「玉桜 4合瓶」を買入れました。

肝心の木の勉強は地元の優良資産である森の木を如何に活用するかを、若者を中心とした官民一体の活動にまとめ上げ5年の歳月をかけて様々なビジネスとして確立していることをしっかりと見学できました。

このような活動がこれから全国に広がっていくモデルケースとなることを信じており、個人的にはエネルギーとしての木材の活用は脱輸入原油の対策として風力や太陽光などの再生エネルギーと同様に国の方策として根付いていければいいと思いました。
交野市在住 松田克哉氏 56歳



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