日   時 2018.11.17(土) 14:00〜17:30頃まで
場   所 浪速区の新世界界隈
参 加 人 数 16名
テ ー マ 『非日常をディープに彷徨う…』



通天閣前に集合
通天閣展望台
新世界稲荷神社
釣鐘屋本舗
ギャラリー再会
浪速クラブ
ジャンジャン横丁のビリケンさん
旅館明楽・てんのじ村の碑
ツイン通天閣
  今回は、大衆演芸や庶民の食など大衆文化の揺りかごの地ともいえる浪速区の新世界界隈を探索しました。
  ご案内いただいたのは大阪あそ歩委員会の横田健司さん。大阪あそ歩は2008年(平成20年)に大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会の事業としてスタートし、現在では日本一の規模の「まち歩き」事業として150コースのスケールを誇っています。
  まずは通天閣に集合。第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、明治45年(1912)にパリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が建設されました。現在の2代目の通天閣は昭和31年(1956)に完成したもので、高さ103メートルあります。大変な人気で5階(87.5m)に上るのに40分の待ち時間でした。黄金の展望台からは大阪市街を一望することができ、金髪の3代目ビリケンさんにも出逢うことができました。
  次に新世界稲荷神社へ。境内には一風変わった珍しいルーレット式のおみくじがあり、石をゴロゴロと回転させて、覗き穴に止まった数字で吉・凶を占うことができます。因みに私は小吉でした。
  釣り鐘本舗で釣り鐘まんじゅうを買ってギャラリー再会(登録有形文化財)の建物へ。昭和28年(1953)に建築家・石井修氏の設計で純喫茶「再会」として建てられたものです。残念ながら中に入ることはできませんでした。
  浪速クラブ・新世界国際劇場・朝日劇場へ。何れも大衆演劇場です。特に朝日劇場は、明治43年(1910)創業、100年の伝統と歴史を誇る大衆演劇専門劇場で、大衆演芸生誕の地の独特の雰囲気が感じられました。
  串かつ屋をはじめ、昭和初期を感じさせるレトロな将棋場が並んでいるジャンジャン横丁を抜け、上方演芸発祥之地てんのじ村の碑へ。
  この付近が、直木賞作家・難波利三氏の小説で有名になった「てんのじ村」の舞台です。道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため、最盛期には300人以上もの芸人が集住していたといわれています。碑の横には、古びた旅館明楽が建っていますが営業しているのか? 何か怪しげな存在ではありました。
  最後に通天閣がツインに撮影できる場所に寄り、待望の串カツの近江屋へ。皆さん喉が渇きおなかはぺこぺこ。近江屋では「二度浸け禁止」のルールに従って今日一日を肴にビールと串カツをいただきました。
  大阪・浪速のディープな世界を堪能できたセミナーでありました。
文/新井律子



新世界散歩


  新世界。通天閣、ジャンジャン横丁~今やコテコテ大阪を体感できる人気スポットらしい。お客さんを通す応接間が梅田なら、来客に慌てて、散らかっているものを放り込む日当たりの悪い四畳半が新世界界隈だった。それが、海外からの観光客も、必ず訪れる名所となってしまった。日本全国、観光名所の多くがそうであるように、ワッと人が集まった途端、よってたかって街の陳腐化、風化を促進してしまうこの国の愚かしい観光文化。
  かつて、この街にあった笑える悪趣味や猥雑なパワー、生活者が醸すリアリティーはどこへ消えたのか。朝に、近所のコインランドリーでかっぱらった下着が昼には路上で売られていたり、なぜか革靴の片方だけを売っていたファンキーなおっちゃん達も、街の美化の名のもとに掃除されてしまったのだろうか。もはや、ザ・串カツテーマパークでは、通りすがりに、焼酎呑ましてぐでよ~、と叫んでた酔っ払いも、雰囲気を上げる仕込みのTDLばりのキャストかと思えてしまう。通天閣、お前も垢抜けず不器用ながらも、もうちょっと客を大事にしてたんちゃうの、いい気になってるよね、と突っ込みながら、確かにかつてに較べれば、街は人に溢れて昔日の賑わいを取り戻したように見えるけれど、何を目指してどこへ行くのか新世界、ブームが去って祭りの後の寂しさにならねば良いがと考えさせられた街歩きでした。
東大阪市在住 山林正彦氏 61歳

      日   時 2018.10.6(土) 13:00〜17:00頃まで
場   所 京都大学構内及び界隈、
旧三井家下鴨別邸、下鴨神社
参 加 人 数 19名
テ ー マ 『古都逍遥…』



尼崎秀明さんから京都大学の説明を受ける
百周年時計台記念館・
楠の大木前で記念撮影
工学部土木工学教室本館
工学部建築学教室本館
旧演習林事務室
(登録有形文化財)
東方文化学院京都研究所
旧三井家下鴨別邸
下鴨神社
  7月28日に予定されたセミナーでしたが酷暑のため延期され、10月6日に無事開催されました。雨が降ったり止んだりのお天気でしたが、京都大学構内から大学の界隈、旧三井家下鴨別邸、下鴨神社と楽しく逍遥できました。
  まず、昭和57年に京大工学部を卒業された案内人の尼崎工務店の代表 尼崎秀明さんから説明を受けました。京都大学は旧制第三高等学校で1894年に公布された高等学校令によって、それまで高等中学校と称されていた学校が高等学校と改称され、それに伴い第一(東京)、第二(仙台)、第三(京都)、第四(金沢)、第五(熊本)の高等学校が登場しました。第二が仙台で今の東北大学と初めて知りました。なぜ京都大学が第二ではないのか? 疑問に思いましたが、当時の政治的な意図があったようです。一高の東大が「自治」を標榜したのに対し、三高は「自由」を掲げました。当時受けた教養科目の授業で先生から「役に立たないことを学びなさい」と言われて建築を目指していた尼崎さんは面食らったそうです。ノーベル賞は「自由な学風」が生み出したものだと思いました。
「楠学問」とも言われ地道な学問追及のシンボルとなっている楠の大木の前で記念撮影。百周年時計台記念館に入り京都大学の歴史を学び、工学部土木工学教室本館・尼崎さんが学んだ工学部建築学教室本館へ。建築学より土木工学の教室の建物の方が立派で、古くても耐震補強が必要ないほどの強固な建物だそうです。
  歴史を感じる建物を見ながら北部構内へ…。旧演習林事務室はスパニッシュ瓦葺にベランダを巡らせたバンガロー風の木造建築で、モダニズムの清新さ溢れる建物で登録有形文化財に指定されています。湯川記念館前で湯川秀樹博士の像にお会いした後、疏水沿いの道を北へと辿りました。
  東方文化学院京都研究所は北白川の閑静な住宅街にあって、風雅な趣きのある白亜の建物は、京都大学の中国学研究のシンボル的存在です。設計者は、武田五一と東畑謙三。壁から突き出た日時計が目に留まりました。約90分の行程でしたが皆さんお疲れの様子なので、京大北門前の進々堂で休憩を取り、旧三井家下鴨別邸に向かいました。
  京都の呉服屋から身を起こした旧三井家の下鴨別邸は国の重要文化財に指定され、玄関棟・主屋1階・主屋2階・庭園を見学しました。台風の影響で大きな木が倒れていましたが、二階からの庭園の眺めはさすがでした。
  最後に世界遺産下鴨神社にお参りして解散。
  学問の牙城あり、庭園あり、神社ありの散策で逍遥よりもハードでしたが、取り分け京都大学では多くの発見がありました。尼崎さんご案内役お疲れさまでした。充実した一日をありがとうございました。
文/新井律子




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