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『箱木千年家』 |
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第52代当主の箱木眞人氏から お話を伺いました。 |
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記念撮影 |
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今回は現存する日本最古の民家といわれ、六甲山系の北西に位置する山田川を堰き止めて造られた呑吐ダムを見下ろす高台に位置している国指定の重要文化財「箱木千年家」に於いて開催されました。
5月上旬というのに最高気温は28度とのことで夏のような日差しの中、参加者は吸い込まれるように「箱木千年家」の中に。茅葺き平屋の玄関を入ると、土間と高い茅葺き天井のほの暗い涼しい空間が訪問者をほっとさせてくれます。内部の床板、仕切り板は当時の手斧(ちょうな)で削られ、その刃型が絶妙の光沢の変化を与えてくれています。
箱木家はもと山田庄の地侍で、応永年間(1394〜1429)頃には宮座の下頭屋役を勤めていたといわれ、当家は破格的に古い格式をもつ家として知られ、早くから千年家と呼ばれていたそうです。約30年前にこの地にダムが建設されて水没することになり、約70メートル東南の高台に移築され、現在の姿を現しています。
第52代当主の箱木眞人氏に前庭に面した縁側前に来ていただいてお話を伺いました。
「現在、私はこの重要文化財に住まないで、敷地内の隣に住んでいます。30年前まで住んでいたのがこの茅葺きの建物ですが、当時は母屋と離れの間に江戸時代後期に増築した二間あって全部が繋がっていたのを復原ということで別棟だった古い形に戻されたのです。」
茅葺き家の当時の住み心地や当時の様子をお伺いしました。
「南に玄関、台所は東、縁側座敷は南で、夏は涼しく過ごしやすかったのですが、今の家は東南に少し振って建っているので余計思います。茅葺きの葺き替えは30年に一度で2年前に小さな束を大きな束に結わえて大仕事でした。茅葺き天井には囲炉裏やかまどの煙で燻すのがいいのだろうけれど、大変なのと火事が気になるのでしていません。この場所は元は田圃で、離れの西側から見てもらうと衝原湖が見えてます。前に住んでいたときはこの母屋の軒庇はもう少し高かったんですが、先生方が低くされたようです。」復原の時代と、実用性を考えて成長を続けた家との、整合性の難しい一面もあったようです。
参加者の皆さんも懐かしさで素敵なお家で感動していますが…。「いやー、冬は寒いし、風が抜けて新聞は飛んでしまうし、大変でしたわ。」(笑)
参加者は日陰になった縁側に流れる涼しい風を感じて気持ちよさそうでした。
母屋をバックに箱木さんを囲んで参加者と記念撮影をすることになりました。心地良い時間を過ごすことが出来ました。
箱木家当主の箱木さんにはいろいろとご説明頂き本当にありがとうございました。これからも日本最古の民家をぜひ守っていってください。
最後に、研究会顧問の新井律子氏から熟年向け住宅プラン「日本の民家」の発表があり、間取りのプランを参加者にお願いしたり…住まいのあり方を考え直す良い機会になりました。
*熟年向け住宅プラン「日本の民家」について詳しくはhttp://www.woodyland.biz/minka.htmlをどうぞ。
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文/高藤正道
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