|
京都市役所前に集合 |
|
桂小五郎像 |
|
高瀬川一之船入から少し入った 京町屋の前で、記念撮影 |
|
酢屋 |
|
霊山歴史館 |
|
|
11月13日(土)、暮らし方研究会第123回文化セミナーが開催されました。
今回は「錦秋の都路…幕末に想いを馳せる…」をテーマに龍馬の足跡を辿って名所旧跡を巡りました。
京都市役所前を出発し高藤さんの案内で、まずは京都ホテルオークラの敷地内にある桂小五郎像へ…。
桂小五郎は後に木戸孝允と名乗り、長州藩の攘夷派リーダーとして活躍しました。ハンサムな桂小五郎像の前で記念撮影を行い、部分的に移築された木戸孝允邸址を見学しました。
続いて、高瀬川沿いに三条まで下り池田屋騒動址を巡り、龍馬と海援隊をかくまったことで有名な酢屋(すや)を見学…。11月15日は龍馬の命日と言うことで、運良く『龍馬追悼展』が行われていました。建物の前では追悼の準備のため、沢山のお花が捧げられていました。
2階のギャラリーでは、海援隊日誌「涙痕帖」・龍馬遺品などの歴史的資料を見ながら、酢屋の末裔の方でしょうか、大変熱のこもった説明をいただきました。
『酢屋』は初代の酢屋嘉兵衛(すやかへえ)さんから、現在、十代目の酢屋嘉兵衛さんまで280年以上も続いている材木商です。幕末には、大阪から伏見〜京都へと通ずる高瀬川の木材の輸送権を独占し非常に繁盛していました。高瀬川沿いには各藩の藩邸が建ち並び、伏見〜大阪との連絡にも格好の地であったため、龍馬はここを海援隊京都本部にしていたようです。主人の酢屋嘉兵衛は龍馬の活動をよく理解し、相当の支援を惜しまなかったようです。
当時、龍馬は『酢屋』の二階の部屋に住んでおり、人々から「才谷さん」と呼ばれ、2階の出格子より向かいの船入に向けてピストルの試し撃ちをした事もあったようです。現存している龍馬ゆかりの建物は少なくなり、今この場所に居ることに熱い感動を覚えた次第です。
ここから一旦河原町に出て、龍馬・中岡慎太郎遭難の地としてあまりにも有名な近江屋址の碑を訪れました。今は賑やかな河原町通に面してひっそりと佇む碑の姿が印象的でした。
その後、観光シーズンのためか満員状態のバスに乗り霊山(りょうぜん)歴史館へ…。バス停から霊山護国神社に至る坂道は、何時の頃からか維新の道と呼ばれるようになったそうです。
霊山歴史館では『大龍馬展 第Ł期 「時代(とき)・拓(ひら)く」』が開催されていました。第Ł期とは龍馬の後半生、山場となる「薩長同盟」、「船中八策と大政奉還」、「龍馬殉難」を中心に、8つのコーナーで龍馬の成し遂げた偉業を見ることができます。展示されているのは「山内容堂書 酔擁美人楼」「徳川慶喜 漢詩」「松平春嶽 漢詩」など、初公開資料9点を含む約100点の資料で龍馬の実像が窺い知れます。特に興味深かったのは、近江屋事件再現模型、龍馬を斬った刀などでした。
日本の開国と夜明けを願った幕末の若者達、その大きな志と力強い行動力に圧倒され続けた一日でした。
|
|
文/新井律子
|
|
|