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のぼりが並んだ劇場前の風景 |
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展示室の展示品の数々 |
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2階の劇場入り口 |
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いよいよ開演を待つ舞台 |
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今回は、浪速が世界に誇るユネスコ無形文化遺産である、文楽・人形浄瑠璃をじっくりと鑑賞しました。
四月公演の初日で…文楽人形遣いの吉田玉女が二代目吉田玉男の襲名披露を行いました。初代吉田玉男は、昭和・平成を代表する人形遣いと称えられた名人です。襲名を祝う「二代目吉田玉男」と染め抜かれたのぼりが並んだ劇場前の桜も満開でした。また、この日は前売り券も完売で満席でした。
開演前にはより深く文楽を理解するためにお願いした、ボランティアガイドさんから展示室を見学しながら、全般の解説を受けました。文楽というのはもともと、この人形劇を上演する劇場の名前だったのですが、いつのまにか芸能そのものを指すようになり、現在では正式名称として使われています。 “文楽”が、この名で呼ばれるようになったのは、明治の終わりごろからで、それまでは“人形浄瑠璃”といわれていたそうです。展示された品々を見ながら、詳しく説明していただきました。船底になっている舞台の構造、太夫と三味線、舞台下駄、人形を三人で操るということ、始めて知ることばかりでした。
11時いよいよ開演です。第一部では「靭猿(うつぼざる)」。文楽は初めてで理解できるか心配でしたが、舞台中央上に字幕がでたので、大変解りやすく楽しい演目でした。
正午過ぎから襲名披露の口上が始まり、上下を着けた20名ほどの羽織袴の人形遣い・太夫・三味線の方々が舞台に並ばれた姿は圧巻でした。口上では、文楽の慣例で本人の言葉はなく、大夫の豊竹嶋大夫さんが「皆々様、何とぞこの後も新吉田玉男を、ご贔屓、ご鞭撻、お引き立てのほど、お願い申し上げ奉ります」と述べられました。三味線の人間国宝に認定されている鶴澤寛治さんは「かわいらしい学生さんが、一生懸命修業して立派になられた…亡き師匠も喜んでいると思う」と語られていました。タイミングよく襲名披露の場に立ち会えたことは本当に幸せだと思いました。
二代目吉田玉男さんは、その後、襲名披露演目として、師匠の当たり役でもあった「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の熊谷直実(くまがい・なおざね)を力強く演じられました。「義経への忠義から自分の子どもを手にかけねばならなかった源氏の武将」の物語です。
最後は、「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」平太郎住家より木遣り音頭の段が演じられました。柳の木の精「お柳」の悲しい物語です。切なさが胸に伝わってきました。
人形遣いの三人が人形と一体になって操り動き、さらに太夫、三味線との呼吸が完全に一致します。人形ならではの美しさと細やかな動きに感動を覚えました。 文楽が世界に誇れる芸術だという理由もわかりました。すばらしい体験をさせていただきました。 尚、この公演は26日までだそうです。
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文/新井律子
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