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豪農大西家住宅の外観 |
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新井律子からご説明 |
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ご当主でご長男の大西孝之介さん |
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ご次男の大西雄之介さん |
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節句の桃の花がお出迎え |
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大正3年の家相図を見ながら、
南さんが説明 |
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「明治17年一津屋村耕地詳細図」の展示 |
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今回は大阪府摂津市一津屋を訪ねて、大阪~京都間の水運で栄えた街とも言われる地に建設された、明治の文化遺産でもある豪農の屋敷を見学しました。築年数が古いが故に現状を維持管理するには莫大な労力と負担が必要となります。そこで様々な解決策を模索されましたが妙案はなく、最終結論として屋敷を取り壊した敷地を貸地とし、その一隅に屋敷の資料館を建設することとなりました。
ご当主の弟さんの大西雄之介さんが研究会のプロデュース&サポートでご自宅を建設されたご縁で相談を受け、ご当主ご自身ともお逢いし、結論に至った次第です。研究会の文化部としては歴史的な建物としての記録を残すため、大学の研究室と連携し母屋の測量から正確な記録を残すこと…。解体を管理し解体後の古材を一部に活かした資料館の建設を行うこと…などのお世話する運びとなりました。
研究会代表理事から「会の説明と大西家との出会い」、私からはご相談を受けてから結論に至るまでの経緯を説明させていただきました。
解体前の調査と資料作成は、文化財建物の調査・修復を数多く手掛けられている京都美術工芸大学の井上年和先生にお願いしました。今年の1月~2月に学生さん10人が力を合わせ7日間ほどで調査を完了されました。母屋の部材を利用した事務所兼資料館の設計を私に委託され、施工担当の研究会会員の工務店も決まり、設計図面も怠りなく、平成30年3月オープンに向け着実に準備が進んでいます。
ご当主の大西孝之介さんは「本家屋は明治20~30年代に高祖父・大西嘉兵衛が建築しました。昭和63年まで居住していましたが、それ以降は空き家の状態で、建物の一部を改築し蔵の取り壊しを経て今に至っています。栂材メインの普請で構造材や建築材は今や入手困難とさえ言われており、一部に古材を使用した小さな資料館を建築する予定です。」と計画を述べておられました。
弟さんの大西雄之介さんも「私たち兄弟の曾祖父は先進的な農業手法を取り入れたり、当時暴れ川であった神崎川の治水に努力を傾注したりと、村のために尽力した新進気鋭の人物であったようです。」と想いを述べられておられました。
残念ながらこの建物を調査された井上先生はご出張で、今回はお話をお伺いできませんでしたが、見学会前日には「大西家住宅主屋について」の調査資料を送っていただけました。
一方、玄関土間に展示されていた「大正3年の家相図」については、研究会会員の南さんがその内容について詳しい概要を説明していただけました。
最後に大西家の皆さんには今回の見学会にご賛同をいただき、開催のためにご家族ご親戚総動員で清掃や片付けを率先いただき、大いに助かりましたので心からお礼を申し上げる次第であります。
この豪農の屋敷の見学については、研究会のご案内ばかりではなく、摂津市においても広く一般にもお声をかけられ、大変たくさんの見学者をお迎えすることになりました。皆さん異口同音に「壊すのは、もったいない!」と叫んでおられましたが、解体直前の建物を見学し、当時の建築技法や往時の暮らしを偲ぶに十分な一日でした。
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文/新井律子
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