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破石(わりいし)町 界隈 |
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志賀直哉旧居・食堂 |
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志賀直哉旧居にて記念撮影 |
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新薬師寺にて記念撮影 |
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入江泰吉記念奈良市写真美術館 |
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今回は、奈良・高畑地区を村田ボランティアガイドさんと巡りました。
JR奈良駅旧駅舎の建物・奈良市総合観光案内所に集合、バスで破石(わりいし)町停留所下車、昔の面影を残す町並みを抜け『志賀直哉旧居』に向かいました。この高畑裏大道の一帯は、春日大社の神官たちの住んでいた社家の跡、独特の風情があります。
『志賀直哉旧居』は、奈良特有の自然美と静寂に心をひかれ、志賀直哉自身が設計、数寄屋風の造りながら洋風の様式も取り入れ、非常に進歩的で合理的、美的な工夫を随所に施しています。大正14年(1925年)、京都・山科から奈良・幸町に居を移した志賀直哉は幸町の借家で4年間を過ごした後、この上高畑町に宅地を求めます。自ら設計の筆を執り、友人の画家・浜田葆光に紹介を受けた京都の数寄屋大工の棟梁・下島松之助に邸宅の建築を依頼しました。
志賀直哉が壮年期の13年間(大正14年4月から昭和13年4月)を過ごした奈良での暮らしは、多くの文化人たちと芸術を論じ、時には遊びに興じて、友人・知人たちとの心の交流を大切にした時間であり、家族の平和と健康を望み、子供たちの家庭教育を行い、家族の絆を育んだ生活でした。文人や画家が常に訪れていたというサンルームは、別名「高畑サロン」と呼ばれていたほどにぎわっていた場所です。部屋に入ると、全体的にはモダンな印象を受けますが、特別に焼かせた瓦の床と、数寄屋風の造り、太い梁など、和の要素がプラスされています。そのうえ、トップライトから光が降り注ぎ、居心地もなかなかのものでした。そして昭和12年には代表作「暗夜行路」を完成させています。
『新薬師寺』は、天平19年(747年)に、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后により創建され、7体の薬師如来像が安置されたと言われています。かつては七堂伽藍が整った壮大な寺院で、創建当初の建造物として本堂(国宝)が今に残ります。東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代に建立され、重要文化財に指定されています。本堂内には円形の土壇が築かれ、壇上には本尊薬師如来坐像(木造・国宝)と、それを囲む日本で最古最大の十二神将立像(塑像・国宝)が安置されています。十二神将は一体に7千人の部下を率いていると言われていますが、そのお姿に圧倒されました。
最後に、西日本最初の写真専門美術館『入江泰吉記念奈良市写真美術館』を訪れました。半世紀にわたり奈良大和路の風景、仏像、行事等を撮り続けた写真家・入江泰吉。入江泰吉の作品を中心に、写真芸術に存分に浸る事ができました。
古都奈良の歴史と文化を堪能した一日となりました。ありがとうございました。
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文/新井律子
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