暮らしの読み物

部会や倶楽部の会員の方々のご協力により寄稿されました。
論文あり、旅あり、食あり、涙あり…と、示唆とウイットに富んだ内容をお愉しみください。


地下足袋日記   1   2   3   4   イギリス編
「遺伝子の命ずるままに 住吉高灯篭建立の奨め」   1  (PDF形式)
味読「やさしさを生きる…」   1   2   3   4   5
ロハスライフ   1
あかりと遊ぶ   1   2   3
アイビー文化を楽しむ   1   2   3   4   5
やきもの小話   1   2   3   4   5   6
35日間の熟年夫婦の旅日記   1-1   1-2   2   3   4   5   6


サンチャゴ・コンポステーラ→レオン→ブルゴス→パンプローナ

「パンプローナ」
遠くの山々の頂からは、少しずつ秋を感じさせるかのように紅葉が目にとまるようになってきた。三日後に訪れる予定のパリの街もずいぶん寒くなっていて、マロニエの並木もきっと色づいて美しいことだろう。「パンプローナ」へは夕方五時に到着。太古より都市が栄えるところには必ず川はつきもの。ここもアルガー川を渡って高台にある旧市街へは30分かかった。あまりにも遠く感じられたので、途中一人歩きの老人に逢い地図を見せて道の確認をしようと思ったが、地図を手にとって上下廻したりしておられたが、結局はメガネを持ってきていないので見えないと首を振られたので、お礼をのべてその場を離れた。うっそうと茂る大木で薄暗いタコネーラ公園にそって登り坂をかなりの距離を歩き続け、旧市街の中心、カスティーリョ広場へ通じる道、サラサーテ通りを見つけ、やれやれの思いでインフォメーションに辿り着く。運悪く週末の金曜と言えば最悪の経験をしているのにまたしても失敗。ホテルはどこも満室。2・3ヶ所尋ね歩いて困り果てていると、傍に居合わせた婦人が、知人が経営しているところに聞いてあげると言われ、この親切で幸いカフェの二階で泊まる場所が確保出来、不安からやっと解放された。
  陽もずいぶん傾きかけた時刻だったので本当に救われた気持ちだった。
  地方都市、パンプローナは「牛追い祭り」で有名な町だ。かなり高地にあって、十世紀〜十六世紀にわたってナバーラ王国の首都として栄えたところ。狭い石畳をはさんで両側には、歴史の重みを感じさせるほどすり減った石造の家がびっしり並ぶ。小じんまりとした市庁舎、このバルコニーに目をやり、ここがサン・フェルミン祭(牛追い祭り)の開始をつげる市長さんが立つところなのかと、その思いはあの熱狂的なすさまじい光景を想像してみた。
サン・サトゥルニーノ教会と
牛が放たれる狭い石畳の道
カテドラル
  TVの放映では、狭い道に放たれた牛が前を走っている人々を目がけて突進し、時には人をなぎ倒している。まるで集団闘牛をみているようだったから、印象深く頭にきざまれている。夕方で町ぶらも短時間しかない為、カテドラルもサン・サトウルニーノ教会も外観のみとする。明日はフランス入りするので、ペセタの残りを使い切る為、牛追い祭りの絵葉書5〜6枚と、店先にぶら下げられている干し肉やチョリソも異様なスパイスも気にならなくなり、とっておきのおみやげとしてこれらも求めた。更にスープの浮しになる乾物類も数種求める。日本に持ち込み禁止の品は、新聞紙にぐるぐる巻きにして臭いも封じ込めてリュックの底へしまう。
  スペイン最後の夜、カスティーリョ広場に集まる土地の人々を眺めながら宿へ帰る。明朝ここを出発するのは五時半の列車しかない。駅まで歩く時間を計算すると、オステルを四時半には出ないと間に合わない。今晩の内に料金6,000円の支払いを済ませ、玄関の鍵はポストの中へ入れてくれればよいと言われ、この日は半寝・半覚の四・五時間をベッドに横たえることにした。

次回、ピレーネ越え、モンサンミッシェル→サンマロー→パリ→バーゼルへと向います。
最終回です。お楽しみに。



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