暮らしの読み物

部会や倶楽部の会員の方々のご協力により寄稿されました。
論文あり、旅あり、食あり、涙あり…と、示唆とウイットに富んだ内容をお愉しみください。


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セネガル紀行
山崎 正夫 匠びとの会会員・日本オスモ(株) 営業部

  皆さん、ロハス「LOHAS」という言葉をご存知でしょうか?
アメリカで生まれた言葉で「Life Of Health And Sustainability 」の頭文字をとって「LOHAS」と言います。日本語で言うと「健康と持続可能な社会を志向するライフスタイル」を送る人たちのことをいうのですが、肩肘張らずに環境のことを考え、かつ、お洒落でカッコいいライフスタイルを!というのが最近気に入っていまして、ロハスクラブネットワークという組織の関西支部としても活動しています。
  環境オタクや健康オタクにならない力の抜けたスタンスで「自然を楽しむ」「住まうことをエンジョイする」自分流ライフスタイルをつれづれとお届けします。まず、僕がロハス的な生活を送る上で大事にしたい事5か条を上げます。
1.エコロジーな生活スタイルを楽しむ
2.イベント&アウトドア好き
3.家族・子供とともに成長する
4.仕事は自分のやりたい事を中心に
5.ムダを省く

第1回 セネガル紀行
では、第1回目は1.「エコロジーな生活スタイルを楽しむ」という僕の原点とも言えるある体験を報告いたします。
  僕は学生の頃から大のアフリカマニア。もともと無類の黒人音楽好きが高じてアフリカにのめり込んでいきました。文化としても大変関心があり、アフリカの「土っぽい匂い」とか「伝統的で合理的な生活スタイル」とか「リズムそのもの」が好きで一度はアフリカに行きたいと思っていました。そしてとうとう、1990年の9月、20歳のときに初めてアフリカのセネガルという国に貧乏旅行(今でいうバックパッカー)に出かけました。
  そもそも、当時ユッスーンドゥールというセネガルのミュージシャンが好きで彼のライブを現地で見るというミッションをもって(もちろん何の当てもありません)旅立ったのですが、若干二十歳の青二才が始めての海外で英語もままならず、しかも、セネガルなんてガイドブックにもない!ときたらハプニングが無いほうがおかしいです。

  突然思い立ったようにセネガルに飛び立った僕は、成田→ブリュッセル→ダカールの空路を約2日かけて飛びました。現地セネガルの首都ダカール空港に到着すると日本人はもちろんゼロ、白人さえ数人程度、周りの人全てが黒人という空間に圧倒されたのを覚えています。
  さあ、そこからがハプニングの連続。
  まず、税関では迫力のある黒人の大男が図太い声で「入国の目的はなんだ?」と先制パンチ。すかさず「サイトシーイング!」とマニュアル的回答。
  「サイトシーイング?一体何を観光するの?」とばかり薄ら笑いを浮かべしばらく質問攻め。ようやくなんとかくぐりぬけバゲッジで自分のバッグを取って出て行こうとすると、お前ら何モンやねんというくらい大勢のセネガル人たちが僕を取り囲み「カバンを開けろ!」としつこく迫ってくる。まだ検査の何かかと思い、僕は従順にカバンを開けた。
すると現地の言葉で数人からベラベラ文句を言われて、乾電池を数個没収された。
なんのこっちゃわけわかりません。
  両替をしようとある男に尋ねると、「俺が連れて行ってやる。」とパチンコ屋の景品引換所のような場所に連れて行かれ、そこでぼったくられ。(あとで分かったが20%ぐらいレートをぼったくられていた)
  そしてタクシーに乗ってダカール市街へ。さすがに「もうだまされないぞ」とタクの運ちゃんにしつこつ値段交渉。
  やっとこさ、とりあえず今日泊まるホテルを確保してビックリ!ダカールはアフリカとは言え世界の大都市のひとつでもあり、物価がえらく高い。
  1泊5000円ぐらいかかってしまい、明日からとりあえず安宿を見つけなければどーにもならないな、と思いつつ、その日は疲れ果てバタンキュー。
これが、僕の初の海外にしてセネガルでの記念すべき1日目だった。

一晩明けて目が覚めて、「ともかく全てにおいて甘かった」と反省。
気を取り直してとりあえず街をぶらぶら。宗右衛門町のポン引きの1000倍位しつこいキャッチセールスを振り切ってまず行きたかったセネガル国立美術館へ。
そして、そこで偶然出会った一人の男がこの旅の運命を一瞬で変えた。

  彼の名は、ラティール。
  西アフリカのウォロフ族にしては背が低く、当時日本で人気があったガーナ人のオスマンサンコンに少し似ていたのもあり、直ぐに仲良くなった。もちろん、最初はかなり僕も警戒したが、彼は現地で植林活動をしていた日本人団体と親交があり、結果的に日本人の僕には非常に親切にしてくれた。
  彼と出会ってその日は、安宿(1泊500円ぐらい)を紹介してもらい、以来帰国するまで彼の家族の家(共同生活)でお世話になった。
  ダカール市街のハーレムからバスで30分ぐらいだろうか、都会からはずれ地平線が見えてきそうなアフリカらしい土壁の町並みが見え始めた。ダカール市街のぽんびきや詐欺師が活躍する雑踏とは違い、片田舎の僕が期待していたナチュラルな暮らしが始まった。
  昼間はラティールとマーケットなどをぶらぶら。夜はバーやカフェなどでアフリカンミュージック三昧。
  食べ物は結構うまくて、ライスの上に魚が乗っているクスクスのようなものが主流。

  近所の子供たちも最初は「トゥーバ!」(外人!)と言ってたのが「シノワー」(中国人)に変わりジャポネと理解するのに時間はかからなかった。
  夜は家にいると暑いのでみんな外に出てきて暗闇の中で談笑する。
  真っ暗だ。空が高くて星が小さく、アカリにするには暗い。その間は本当にのんびりとした時間が流れる。誰かがイスラム式のテ(チャイみたいなもの)を入れる。
  最初は数人だった輪が次第に子供や女が集まり始め何十人に膨れ上がる。そんなミーティングが毎日のように繰り返された。

  ラティールはいいやつだったが、酔っ払うと目つきが変わり豹変する。
  一切ガイドのような報酬を支払った事はなかったが、飲んで酔っ払ってくると「金」をせびってくる。あまりにしつこくなると周りの席の人たちが彼をなだめる。
  異国の地でこんないいやつはいなかったが、あの目つきが変わる瞬間は、いつも背筋が凍りついた。

  西アフリカは音楽の原点ともいえる場所です。マリという国にはマンディンゴ族という部族がいて、世襲で音楽家としての職業を代々引き継ぐ、非常に権威のある部族としてあがめられています。
  現地で一番うまかったのはフレンチスタイルの牛の煮込みスープ。おそらく、僕が暮らしていた近所の人たちは年に1度食べるかどうかの高級食材のようだった。
  一番まずかったのは、麦か魚かのすり身をバケツからスプーンですくって食べるなんともいえない料理。ちょっと酸味がありゲロのような味がした。
  最高の場所は、「ピンクレイク」一般的にはなんと言うか知らないがラティールがそう言っていた。湖なのですが塩分が多量に含まれており、その濃度のせいで水辺がフラミンゴのようにまっピンクにみえる。そこで泳げるようになっていて、塩分濃度が高いのでプカプカ浮かぶ事も出来る。
  ただ、あまりに楽しくてここが亜熱帯地域ということを忘れ一日中泳いでいたら、日射病みたいなものにかかり2日ぐらいは寝込んでしまった。

  今も自然の暮らしやライフスタイルに関心があるのも、セネガルの土の匂いがしみこんでいるからなのかもしれない。

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